特許コラム

2011年5月18日 水曜日

秘密はなぜ漏れるのか?

 日本は技術の管理が下手で、重要な技術的な秘密がすぐに漏洩するので、海外に技術を真似されてしまう、というのは、よく言われることです。
 それが「日本」に特有のことなのか、海外だって脇の甘いところもあるんじゃないのか、と思ったりもするわけですが。
 
 が、それとは別に、なぜ秘密が漏れるのか、ということについて思うことがあります。それは、「技術のノウハウ」というのは個々の事項は案外単純でつまらなく見えるようなことである場合が多いからじゃないか、ということです。
 
 誰でも、
「これはわが社の秘密事項であるから、絶対に社外で喋ってはいけない」
とちゃんと認識していれば、それは喋らないものだと思います。「秘密だ」と分かっていて喋るような人は、そもそも人としてのモラルが低い人ですから、論外です。そういう「モラルの低い人への対策」については、色々な議論がなされ、法律改正なども行われています。
 でも、「情報漏洩」の全部が、そういった「モラルが低い人」からの漏洩とは限らないような気もします。
 
 そうでない「情報漏洩」がなにかというと、
「これくらいなら、喋ってもたいしたことはないだろう」
という「秘密」の認識の甘さにあるのではないか、と思います。
 
 自分が話したことを誰かが興味を持って聞いてくれれば、誰でもうれしいものです。しかも、技術者だと、世間では一般に知られていないけれど自分は知っている、ということがあるわけですから、そういう話を「誰かに聞いて欲しい」という気持ちがあるのは自然なことだと思います。
それが、誰の目から見ても「会社の重要機密」というような技術であれば、(普通のモラルを持つ人なら)話さないでしょうが、例えば、製造装置のちょっとした小さな工夫のようなことであると、「これくらい大したことじゃないし」という甘い気持ちが生まれがちです。
 
 「製造上のノウハウ」というと、何かご大層なもので、高級で難しいものがそこにあるように思うかもしれません。
 しかし、案外、社内では「当たり前」と思われているような「ちょっとした工夫」というものが、社外から見ると非常に大きな「ノウハウ」である場合もあるわけです。
 
 「何が重要な秘密であるのか」ということは、社内にいると認識できないし、認識していないからそれを「秘密」にするという意識も働きにくいとも言えるわけです。
 そういった「小さな秘密」をどうやって守っていくか、ということも「社員のモラル向上」とは別に重要な問題になるのではないか、と思います。
 

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2011年5月16日 月曜日

キリスト教と法律と

 「欧米人の発想の根底には『キリスト教』があって、欧米で発達した法律の理論は『キリスト教』が前提なので、日本人には相容れない部分は非常に大きい」
ということを私はよく思います。
 
 こういうことを思うのは、欧米の小説を読んだり映画を見たりしたときの、裁判の場面ということが多いです。
 
 もう少し具体的な話をしますと。
 キリスト教は「絶対的な神」が存在することが前提なので、
「裁判においても絶対的な神の意思が働くので、絶対的に正しいほうが裁判に勝つはず」
ということがあるような気がします。
 
 ここが欧米の人と日本人の考えの根本的に違うところ、という気がします。
 現実の裁判においては、「どちらが正しいか完全には決めきれない」ことが非常に多いです。
 このような場合でも、「訴訟で負けた」場合には、「負けたということ」が神の意思であって、罪があるということになってしまうのです。
 
 この辺り、日本人にはまったく相容れない発想だ、と思いました。しかし、その後、色々と本を読んだりするうちに、このような発想は欧米では「当然」のことらしいですね。
 だからこそ、キリスト教の人は「現世での成功」に拘るのだ、ということも読んだ記憶があります。(現世での成功こそが、自らの善の証明であるという)
 
 でも、そう言われてみると、近代の欧米法での「裁判」というものは、こういう思想的前提がないと成り立たないことであるような気がするんですよね。
 裁判なんて人間がやることです。しかも、民事の訴訟ともなれば、「どっちが正しいと判断しても理屈は合う」というケースがほとんどです。そのような場合に、裁判で「こちらが正しい」と判断して、それを全員が受け入れるには、「全能の神」の存在を前提にして、「神の意思」と考えないと、難しい気がします。
 でも、裁判の結果を「神の意思」と考えるのは日本人にはかなり難しいこと、という気がします。
 私も知ったような調子でこんなことを書いていますが、感覚的には欧米の感覚はまったく理解できません。
 
 では日本はどうなのでしょう。
 伝統的な日本社会での「裁判」というと「大岡裁き」が思いつくわけです。でも、冷静に考えると「大岡裁き」というのは、「善悪」を判断するというよりは、「丸く収める」ことに主眼が置かれているように思います。三方一両損の話なんかは、完全にそうですよね。
「誰が正しいとか間違っているとか決める必要はなくて、ただ全員が納得する方法を考える」という観点のように思います。
 
 こういう思想的土壌を持つ日本に、明治以降、「絶対的な神」が存在することを前提として「善悪」「勝ち負け」をくっきりと決めてしまう、欧米の法律体系が適用されているわけです。
 どうにも、収まりが悪い感は否めません。
 
 現実に、裁判における法律の考え方が「身に馴染まない」気がしてしまうのは、こういう欧米の法律の根本にある「キリスト教的発想」が日本人的発想と馴染まない、ということがあるのではないか、と思います。
 
 今更、法体系を変えることができない以上、いつまでも「普通の人の日常感覚」と「訴訟における論理」が合わない、というこの感覚は消えないでしょう。そして、日本人が「法律」とか「裁判」というものと器用に付き合っていける日はなかなか来ないのかもしれません。
 むしろ、「法律」とか「裁判」とはこういうもの、と割り切ってしまい、この違和感を「仕方のないもの」と受け入れるしか手はないのかもしれません。

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2011年5月12日 木曜日

「<反>知的財産」について(2)

 以前読んで、うまく論評できなかった、「<反>知的独占」 (ミケーレ・ボルドリン/デヴィッド・K・レヴァイン著 山形浩生/守岡桜訳 NTT出版;2010年10月29日;原著2008年)ですが、その後もこの本については色々と考えてきました。
 
以前の記事はこちら。
 
 
 考えていたことは、
「この本の主張は素晴らしい。だから、知財業界をこの先どうするのかをこの本の内容に沿って考えよう」
というものではなく、
「この本の内容に納得がいかないのはどうしてだろうか」
というものでした。
 
 よって、今回再びこの本の内容を取り上げるわけです。
 ただ単に「この本は面白くない」などと漠然と書いても意味はないので、もう一度取り上げるのなら、論理的な観点からこの本の問題点を指摘しなければ、と思っていました。そういうことをしばらく考えていて、最近になって自分が感じたことを少しずつ言語化することができてきたような気がするので、話をまとめてみよう、と思いました。
 
 私がこの本について批判的なのは、まず、
「内容がない気がしたから」
です。きついことをはっきりと書くようですが。
 
「知財が本当に産業の発展に寄与しているのか」ということは、そんなこと、随分昔からずっと私だって悩んできたことです。それについては、「簡単には分からない」し、「安易に結論を付けることはできない」と結論付け、
「今、知財制度を全て廃止するわけには行かないのだから、個々の会社や個人は知財制度にうまく対応しながら企業活動を行わなければならない」
という前提で、仕事をやってきました。
 
 だからこそ、「知的独占は産業の発展に寄与していない」ということをテーマにしたこの本には惹かれもしたし、それを読むことで何か得られるものがあるのではないか、と思いました。
 
 しかし、この本においては、「知財による独占的地位がないほうが、産業の発達に寄与する」と著者は思っている、という以外の情報が何もなかった、と感じました。長々と書かれた本のなかには、そういう個人的意見と、その意見に合致しているように思われる事例が説明されているだけでした。
 私は、「そんな可能性があることくらいは、言われなくても分かっている」と思いました。
 
 この本のなかでは、過去の事例の引例によって、「知財」が「産業の発展」に悪影響を与えたと思われる事例を一応説明してはいます。
 しかし、過去の事例を多く調べれば、「知財が存在することが問題」であったような事例も、「知財保護がないために産業が発展した事例」も見つかるのは当たり前です。この本に関しては、知財に関する多くの事例を網羅的に調べたというよりは、「自分の理論に合致した事例」のみを取り上げている、という気もしました。
 そういうやり方で理論を作れば、「知財は産業の発展に寄与していない」という考えを一見合理的なものに「見せかける」ことは簡単なことです。
 
 しかし、この本が書かれたことによって「知的財産の保護」が無くなって、発明の保護に関する考え方がすべて変わってしまう、ということはないでしょう。それだけの中身を持った本ではないと思います。
 
 そうであるなら、このような本を読むことにあまり意味はないし、これを「弁理士必読の本」と感じることもありませんでした。
 折角、「知的財産の根本」をテーマにしたのなら、もっと広い視野での議論が欲しかったなぁと思いました。
 
 このあたりが、私がこの本に納得いかなかった理由、ということのように思います。

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2011年5月10日 火曜日

訴訟件数の減少

 日本の知財訴訟の件数は減っている、ということのようですね。2004年に214件だった後、件数が減少していき、最近は年150件程度で推移している、とのことです。
 
 この数字をどう見るのかは難しいところですね。
 知財業界での「金銭的利益」という観点からみれば決して良いことではないので、
「もっと訴訟を増やすべき」
ということになるのでしょうが、それもどうか、という気がします。
 
 「訴訟」というのは、もめ事が話し合いでは解決できなくなったときに起こることです。「訴訟が少ない」ということは、「もめ事が話し合いで解決されている」と考えられるわけで、それは別に「悪いこと」ではないでしょう。
 
 例によって、
「アメリカと比べると」
という言葉を使う人もいるわけです。ちなみに、アメリカにおける知財の訴訟の件数は日本よりも圧倒的に多いです。
しかし、アメリカは訴訟社会で、知財に関係なく訴訟件数自体が日本よりもずっと多くなっています。珍妙な訴訟が多く起こっている、というのは多くの日本人も聞かされたことのある話でしょう。日本においても、ああいう変な訴訟が頻発するようになったらいい、と思っている人はまずいないでしょう。
 それなら、訴訟件数の話で「アメリカと比べて」という話をするのはおかしなことだと思います。
 
 とはいえ。
 日本の場合、単なる「事なかれ主義」で「訴訟は面倒」という考えからこういうことが起こっている可能性も否定できません。
 そのあたりの「バランス」をうまく取れるか。
 難しいことですね。

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2011年5月 6日 金曜日

「起こりえない」こと

今日のネタは5月3日日本経済新聞、近畿経済Bの紙面中にあった記事です。
 首都機能が必要か否かというアンケートに対する東京都の回答について
「東京全域を壊滅させるような災害は起こりえない」
との回答があったとのことです。
 
 アンケートへの回答者が本当にそんなことを書いたのか? と疑ってしまうような記事です。今、この状態の中で、そんな頭の悪い回答をする人が存在する、ということに大変驚きました。そこでいう「起こりえない」という言葉の根拠がどこにあるのか、一度聞いてみたいものです。
 
 「××ということは起こりえない」という言葉は、何かをやる上で口にしてはいけない言葉だと、今回の震災で思い知らされた人は多いのではないでしょうか。あんな巨大な地震と津波は、「起こりえない」と思っていた人が大多数だったわけですから。
 
 本ブログはあくまでも「特許ブログ」なので、政治的・政策的なことにはこれ以上言及しません。
以下、知財の話、会社での事業展開という観点から、この話を少し広げさせて戴きます。
 
 「××ということは起こりえない」と誰かが言うとき、ほとんどの場合、そこに「私利私欲」が混じっている、と私は思います。
 「××ということが起こる可能性がある」と想定してしまうと、その対応のために金や手間がかかったり、自分がやりたいと思うことができなくなったりするでしょう。
 
 上のケースであると、
「首都機能が分散してしまうと、東京の経済が縮小する恐れがあるから困る」
という考えが透けて見えてしまいます。というか、「東京全域を壊滅させるような災害は起こりえない」と主張する根拠を論理的に示してもらわない限り、そうとしか見えないです。
 でも、それは単なる「私利私欲」です。
 「私利私欲」といわれたくないなら、「災害のリスクを考慮しても、首都機能を集中させなければならない」とする理由を主張して欲しい、と思います。
 
 これを特許問題に当てはめてみましょうか。
「○○という商品を販売すると、特許侵害が発生するかもしれない」と想定してしまうと、その対応のために労力・金がかかりますし、会社の上層部の説得も大変でしょう。下手をすれば○○という商品の販売が会社の上層部の判断でストップしてしまうかもしれません。
そのせいで、「特許侵害は発生しえない」という言葉で、これらの問題から目をそらす、という状況が発生しがちです。
結局、その姿勢が何よりも危険だと思います。
 
最初から「特許問題が発生する可能性がある」という事態を想定しながら、コトを進めていれば、実際に特許問題が発生した場合も小さな被害で済む可能性が高くなります。
それがリスクの認識とその対策、ということでしょう。この感覚を鋭くしていくことは大変難しいことですが、それは企業経営に関わる全ての人が(そして、行政に関わる人達も)真剣に考えなければならないことだと思います。

投稿者 八木国際特許事務所 | 記事URL

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