特許コラム
2011年6月28日 火曜日
「日本人の交渉力」
2011年、7月号の中央公論の特集が「日本人の交渉力」となっていました。
で、「交渉」というものについて色々と悩んでいる私としては買って読もう、ということになったわけですが。
最初読んだときは、全然本題と関係のないところで「ううむ」と腕組みをしてしまったのでした。
雑誌なので、その特集のテーマに沿って多くの方が執筆されており、色々な文章があるわけです。
そして、テーマが「交渉力」となっているわけです。で、交渉力というのは話し合いだけではなくて、文章のやり取り等の場面もありますよね。ということは、「交渉力が高い人」というのは、文章においても論理性が高く、読む人を納得させる文章を書ける人だ、と思ってしまうわけです。
そういう前提で読まれる文章を書くのって、これは大変だと思います。
「書いている人自身に交渉力がなかったら、交渉力について何を書いても説得力ない」
という状況に陥ってしまうと、非常に困るわけです。
しかも、「中央公論」に文章を書かれる方というのは、その世界では既に地位を築いた方である場合が多いでしょう。そういう人が多く文章を書いていると、読者はどうしても比較をしてしまいます。
その比較のなかで、やはり、「こっちの人の文章のほうがより説得力がある」等と、無責任な読者は簡単に判断してしまうわけです。
大して交渉力が高くない人の集りのなかで、交渉力高く見せることは簡単なことですが、交渉力が高い人の集りのなかで、交渉力が高いように見せるのは難しいことだなぁ、と。
さらには、硬い文章が続くなかで、ふっと井上章一氏の「美貌は国益になるか」というような文章がくると、結局、それが一番印象に残ってしまう、という。井上氏といえば、「美人論」で有名になられた方ですから、遣唐使で派遣する人材においてはルックスを重視していたらしい、という観点を主体とするこの文章もいかにも井上氏らしい文章です。
でも、この文章も「日本人の交渉力」というテーマから考えると、ちょっと本筋からずれているような気もしないでもないし……。
そんなことを思いつつ読んでいたわけですが。
読んで最終的に思ったのは、結局、「交渉力」というのは、「お勉強」で身に着くような「単純な技能」ではなくて、色々な経験を経て形成されたその人の「人格そのもの」のようなものなのでしょうね。
そういった意味では、ある意味ではこのような「難しいお題」に対してそれぞれの執筆者が自らの経験に基づいた色々な「交渉」について書かれた内容は興味深いものでした。
「日本人は交渉力に弱い」と他人事のように語る人は多いですが、それでは意味がないわけです。そういう意味では、色々な方が「自分が経験した交渉」やそれを通じて感じた「交渉とは」ということについて語られている文章は非常に面白いと思いました。
当然のことながら、それを読んで簡単に「交渉力」が身につくようなものではありません。でも、それだからこそ、「交渉力」というものについては考えてみてもいいのではないか、と思いました。
投稿者 八木国際特許事務所